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温暖化の懐疑論




 温暖化には大きな疑問が三つある。一つは「温暖化しているのか?」ということ、第二には「温暖化の原因はなにか?」、そして三番目に「温暖化でなにか悪いことが起こるのか?」ということだ。

 

 今、この3つを整理している。温暖化は環境問題の中でも重要なもので、専門家としてはしっかり調べてできるだけ正しい情報を提供しなければならないと思う。

 

 調査する上で困難なことがある。一つは「政府予算を使った研究」の存在である。国立環境研究所や東大などの研究機関は「研究」と言う名を冠してはいるが、方向性が強く、そこから出るデータは信頼できない。

 

 学問というのは方向性を持ってはいけない。

 

学問が扱うどれもが、「人間の頭の間違いを直す」と言う意味があるので、研究する前から方向性を決めるということができないというコンセンサスがあるからだ。

 

 だから、まず「温暖化している」とか「温暖化は恐ろしい」という前提にある研究は参考にならない。でも、あまりにこの種の研究が多いので、学問的に研究している人が逆方向に追い込まれている。

 

 つまり、「温暖化している」、「温暖化は恐ろしい」と強調されるので、それを原点に戻すために「温暖化していない」、「温暖化はよいことだ」と言わないと元に戻らない。そこに環境の学問の難しさがある。

 

 第二は、「直接的にお金をもらっている学者が多い」ということだ。たとえば政府は20億円の地球温暖化研究費を80人の学者に渡した。私の倫理感覚では「学問のワイロ」だが、受け取った学者は正当な研究費と考えておられる。

 

 でも、この研究グループからでる成果はいずれも「温暖化している」、「温暖化は怖い」というもので、それは「今の知識で判断するのが正しい」としているので、本来の学問ではない。

 

 第三がマスメディアである。特にNHKが際だっているが、事実を伝えるのではなく、温暖化の恐怖を強調するのに熱心だ。国民に正しい情報を提供しようとするのではなく、国民を指導、洗脳しようとしている。これも情報源としては困ったものである。

 

 そのような障害を排してなんとか正しい情報を得たいと思う。それにはできるだけ自分を冷静にして科学だけを見つめることだ。そうすると、次のようなことが事実のように感じられる。

 

 まず、温暖化しているかという点だが、気象庁が日本の平均気温の目安としている17地点は「100年間の間、データが揃っている」と言うことに目を奪われているので、その多くは「中都市」である。

 

 中都市と田舎では都市化の影響で気温が違い、この100年間では平均して0.9℃異なる。また気象庁の標準観測地点での平均気温は100年で1.1℃上がっているので、どうも日本の「温暖化ガスによる温暖化の程度」は0.2℃である。

 

 今から400年前からの気温の上昇は平均して100年間に0.3℃であるから、この0.2℃というのはその範囲に入る。つまり、100年前から「温暖化ガスによる温暖化」は起こっていないという結論に達する。

 

 次にその原因であるが、IPCCは気温上昇の93%が二酸化炭素などの温暖化ガスの影響としているが、これは各国が報告した都市化の温度上昇を含んでいるので、都市化の分を除くとIPCCの報告は崩れる。

 

 なぜIPCCが都市化の影響を軽視した杜撰な結論を出したのかと少し調べたら、どうもIPCC自体は「学問的に温暖化を明らかにしよう」という意志はなく、「各国からの温度の報告を受けて、それで政治的に処理すればよい」としているようだ。

 

(注:IPCC自体は都市化の影響を除いたと言葉で書いているがデータを見ると都市化の影響を整理している。)

 

 また第二作業部会の報告では、温暖化の影響について「温暖化で犠牲になる人と助かる人の差」をとるのではなく、「温暖化で犠牲になる人」だけをカウントすることを制限条件にしている。

 

 だから「温暖化によって犠牲になる人が100人で、助かる人が1万人」という結果でも「温暖化は悪いことだから、防がなければならない」という結論になる。

 

 南極の氷の融解、レジ袋の追放と同じ論理だ。

 

 南極の氷が増えているか、減っているかは、{「降っている雪」―「周辺部でとける氷」}を計算しなければ判らないので、「周辺部は寒冷化していても融けている」ということだからだ。

 

 レジ袋も同じで、レジ袋を止めると石油の消費が減るかは、{「レジ袋に使う石油」―「マイバッグとゴミ袋につかう石油」}の引き算をしなければならない。

 

 引き算をしないのは「引き算」をすると事実がバレるからだ。普通の大人から引き算をしなければ判らないことは知っている。なにがその人の心の中に住んでいるのだろうか?

 

 この「引き算恐怖症」が温暖化の被害を予測するときにも使われて、引き算をせずに足し算だけをしている。たとえばIPCCは「気温が上がっているところだけのデータを採用する」、「温暖化の被害だけをカウントする」という方法であることが判った。

 

 IPCCは国際機関だから、それでも良いのかも知れないが、日本の国立環境研究所や東京大学まで同じなら「研究」と名乗ってもらっては困る。日本のどこかで「学問としての温暖化」を進めてくれないと、「温暖化に「反対」する学者」ということに追い込まれる。

 

 学問には「反対」も「賛成」もないのだ。仮に政府がある方針を持っても、戦争などではないのだから、温暖化に対して客観的なデータを国立環境研究所が出すのは国民の為になると思う。でも、現実にはそうではない。政府は「温暖化が怖い」という報告を研究所や大学に求めている。だから、学問的なデータは日本にほとんどないと言ってもよい。

 

 さて、温暖化が二酸化炭素の影響かというと、2つの強力な反論がある。一つは、太陽活動が盛んになって長期的に気温が高くなっていること、二つめに温度が上がってから二酸化炭素が増えていて、二酸化炭素が増えたから温度が上がったのではないこと、である。

 

 この二つともかなり学問的な解析も正確で、とても反証せずに無視するということはできない。でもIPCCも日本の研究機関も反論を無視しているが、もう少し丁寧に反論をした方が良いだろう。

 

 最後に「温暖化で困ったことが起こるか」という点については主として私の方で検討しているが、良いことばかりで悪いことは少ない。たとえば食物の収穫、病気の打撃、住みやすさなど、当たり前のことだが、温暖化した方が良い。

 

 このように考えていくと、現在の日本の温暖化騒ぎは、もしかしたら環境問題では無く、政治問題なのかも知れない。科学者は政府の仕事から手を引くことをお勧めする。

 

(平成2047日 執筆)


武田邦彦



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